ECLの初代社長、高井太郎さんは帝国海軍出身でした。彼の活躍が【豊田穰著、空母瑞鶴の生涯(集英社)】に描かれていますのでご紹介します。8月は終戦の月です。過去に思いをはせ、今を考えるのも良いと思います。もし、ご興味を持たれましたら、是非、お買い求め下さい。
日本海軍は、昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃で戦果を挙げたが、その後、昭和17年(1942)6月5日のミッドウェー海戦で空母4隻、重巡1隻、航空機150機を失って大敗北し、これが転換点となって徐々に劣勢となっていく。米軍は、昭和19年(1944)10月12日レイテ島上陸作戦の布石として、台湾から沖縄にかけての日本の航空基地を攻撃し、これを迎え撃つ日本軍との間で大航空戦(台湾沖航空戦)が行われ、日本海軍は300機以上を失い、小沢治三郎中将(37期)の率いる空母機動部隊の空母(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)には、もはや熟練のパイロットも艦載機がなかった。
空母瑞鶴の生涯
第二章 エンガノ沖のZ旗より
十月二十四日・・・
十一時四十五分、小沢長官は攻撃隊の発進を命じ、Z旗一旈の掲揚を命じた。
「Z旗一旈!」
艦橋にいた航海科の信号員は、張り切って艦橋後部の信号マストにZ旗を掲げた。いうまでもなく、日本海海戦のとき、東郷艦隊の旗艦三笠のの檣頭に掲げられた「皇国ノ興廃一戦二アリ各員一層奮励努力セヨ」という歴史ある決戦の信号旗である。
艦橋にいた第五分隊長(航海科)の高井太郎大尉(70期)は、近くにいた航海長の矢野房雄中佐(55期)と顔を見合わせた。
いよいよ最後の攻撃隊が出る。そして瑞鶴の最期も旦夕に迫っている・・・
二人の眼はそう言い交わしていた。
四隻の空母は発艦に備えて艦首を風に立てた。Z旗が風にはためくのを確かめると高井大尉は艦橋上部の防空指揮所に登った。見張指揮官である彼の戦闘配置であり、死に場所である。
(中略)
金丸が飛行甲板を見おろすと、攻撃隊が発進するところであった。瑞鶴最後の攻撃隊は零戦10、零戦爆装11、天山艦攻6、彗星艦爆2、計29機で、四隻の空母を併せて58機であった。
(中略)
ここで、この日のハルゼー艦隊の様子を眺めておこう。
高速空母15(正規7、軽8)、戦艦6、重巡4、軽巡10、駆58で計93隻、艦載機は1,000機に近い大機動部隊で、これは史上最大といわれた真珠湾攻撃当時の南雲部隊の空母6、艦載機353機のほぼ三倍にあたる大兵力である。
(中略)
八時三十五分、250キロ爆弾一発が左舷飛行甲板に直撃、格納庫甲板を貫通して第八缶室給気路で炸裂、付近の中、下甲板を大破した。
(中略)
瑞鶴が旗艦としての能力を失う時は意外に早くやって来た。
第一弾命中の二分後、魚雷が命中したのである。
(中略)
防空指揮所にいた見張指揮官の第五分隊長高井大尉は、この銃撃で腹心の部下である見張長の大内功少尉を失った。見張専門で叩き上げてきた大内少尉はこの日も来襲する敵機の早期発見の為に声を張り上げて奮闘していたが、急降下する戦闘機がタ、タ、タ、タと六挺の13ミリ機銃から赤い舌のような炎を吐き出し、キューンと金属製の響きを残して引き起こす直前、突然うつぶせに倒れた。
「見張長!!しっかりせい!」
近くにいた高井は肩に手をかけて引き起こした。しかし、胸に被弾したのか、即死と見えてもう何もいわない。唇だけがまだ見張の号令を発しているのか半ばひらいていたが、苦しみの様子もなくおだやか大往生であった。
「見張長、御苦労!」
高井は双眼鏡を左手にもち右手で片手拝みにしてそう言うと、立ち上がって再び見張の指揮を続けた。
(中略)
貝塚艦長は艦長付航海士の都野隆司中尉(72期)を連れて艦橋に降りた。操舵の指揮をとっていた航海長矢野房雄中佐(55期)はコンパスの近くで艦長を迎えた。矢野航海長は愛媛県出身、八字髭をぴんと生やしたいかにも武人らしい士官であった。
「艦長いよいよですな」
「エンジンも舵もストップしたようだな」
「はあ、もう漂泊して沈むのを待つだけです」
(中略)
艦長の訓示が終わると、伝令が
「軍艦旗おろし方!」
と叫んだ。
軍艦旗は艦橋後方の信号マストに掲揚されてあり、戦闘旗の役目も兼務していた。
エンガノ岬沖(東北東260マイル)の海面に嚠喨たる君が代のラッパが鳴り渡った。直衛の若月、初月の二駆逐艦の艦上でも将兵は不動の姿勢をとり敬礼した。
昭和十六年九月二十五日の竣工以来三年一か月の間日本機動部隊の中心戦力として十数度の海空戦に参加し多くの戦績を残した名艦瑞鶴はいまその任務を終り、栄光ある軍艦旗を降下しつつある。
(中略)
軍艦旗降下が終ると、乗員たちは海中に飛び込み始めた。すでに左舷への傾斜は23度に達している。
(中略)
防空指揮所から艦橋におりた金丸中尉は、高井大尉と航海長が争う声を聞いた。傾斜が激しいので二人はコンパスにつかまっている。
「航海長、退艦して下さい。戦争はまだ続きます。仇をとる機会はあるのです」
しかし、髭の航海長は悠然として艦長の方を見た。
「私はもういい。本日の操艦の責任をとって艦長のお供をすることに決めたのだ」
「艦長!どうか退艦して下さい」
高井は今度は貝塚艦長の方を向いた。
「高井分隊長、火をもっているかね」
艦長はカーキ色の第三種軍装の胸ポケットからたばこを出し、高井がすって差し出すマッチの火をつけ、うまそうに煙をくゆらした。
艦長はもう覚悟を決めておられるのだ・・・。高井はがくりと肩を落とした。
(中略)
心ならずも艦長、航海長を艦橋に残した航海科分隊長の高井大尉は、後ろ髪を引かれながら飛行甲板に降りたが、その為に退艦が遅れた。
艦の傾斜は30度を超えている。高井は十七年十月十一日ソロモン方面サボ島沖海戦で重巡古鷹に乗り組んでいて沈没漂流を味わった経験があるので、割合落着いていた。
沈没時には傾斜している反対側の舷から海中に入った方が渦に巻きこまれる率が少いということを彼は知っていたので、右舷から入水することにした。しかし、海水はもう右舷のボートダビット(吊り上げ支柱)のところまで来ていた。左舷はすでに海水に没している。入水した高井は急いで本艦より遠ざかろうとして急ピッチのクロールで泳いだ。しかし、早くも沈没時の渦が彼を捉えた。ぐんぐん水中に引きこまれてゆき水の層が厚くなってゆく。あたりは暗くなり水圧の為耳がじーんと鳴り痛みを訴えて来る。手で水を掻き足で水を下方に蹴るが、しばらくは渦にひきこまれる降下が続いた。自分でも不思議な位息が続いた。まだ闇は続いている。もう駄目かと思ったとき、急に頭の上が明るくなり、ぽかりと海面に出た。
あたりは重油が層をなしており、瑞鶴の姿はなかった。南国の陽光が艦の部品や丸太、カッターの金具などを照らし、それが白ちゃけて見えた。
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